ご祭神

  • 南座四柱
  • 北座三柱

  • 贈従三位 加賀守 佐賀藩祖
  • 鍋島直茂命(日峯大明神)
  • 従五位下 山城守
  • 龍造寺隆信命(深恭明神)
  • 平右衛門尉   鍋島清久命(伝心大明神)
  • 直茂命室    彦鶴姫命(陽泰大明神)
  • 従四位下信濃守 鍋島勝茂命(初代藩主)
  • 従四位下肥前守 龍造寺政家命(功勝明神)
  • 従五位下駿河守 龍造寺高房命(通豊明神)
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松原神社の神々

 戦国時代、龍造寺家と鍋島家は主従の関係でした。五州二島の太守と称され、当時大友氏・島津氏と九州を三分するほどの勢力を誇る武将であった龍造寺隆信公に仕えた鍋島直茂公は、龍造寺家を支え、更に隆信公の母慶誾尼が直茂公の父清房公に再嫁したことで、隆信公と直茂公は義兄弟となり両家の関係はより密接なものとなりました。
 天正12年(1584)、島原半島での沖田畷の戦いで隆信公が戦死されると、家督はその子政家公が相続されますが、国政は義兄弟でもある隆信公のもとで武功を重ねていた直茂公に委任されます。
 その後、当主を継いだ政家公の世子高房公が慶長12年(1607)に逝去され、その後を追うように翌月には政家公も病没されます。政家公・高房公の死により、龍造寺家の家臣たちは協議の上、高房公の跡は直茂公の子で、直茂公同様に数々の武功を上げていた勝茂公が継ぐべきであると江戸幕府へ申上し、幕府もこれを認めるところとなりました。こうして、鍋島家は龍造寺家から政権を 受け継ぎ、明治維新までの約260年間、佐賀藩を治めることになったのです。
 直茂公の夫人彦鶴姫様は聡明な女性として知られ、また当時としては珍しい恋愛結婚により結ばれた夫直茂公との仲も睦まじく、国母として慕われたと言われています。また直茂公の祖父清久公は、享禄3年(1530)、龍造寺家兼公(隆信公の曾祖父)が大内義隆と戦った際(田手畷の戦い)、家兼公に協力して赤熊の面をかぶって大活躍したといわれる一方、慈悲深く信仰の厚い武将であったと伝えられています。